2011年8月30日火曜日

お気に入り映画

今月のお気に入り映画は北野武監督シリーズです。

27日(土)は各地で花火大会がったようですね。それにちなんでまずはこちらから、

「HANA-BI」

-あらすじ-
凶悪犯の張り込みの最中に親友で同僚の堀部の好意に甘え、数カ月前に幼い子供を亡くし失意のまま体調を崩していた妻・美幸を病院に見舞った西は、そこで妻が不治の病で助からないことを聞かされる。ショックを受ける西。だがそんな彼に、更に堀部が犯人の凶弾に倒れたとの連絡が入った。その後、犯人は別の場所で発見されるも、逮捕へのあせりから西は失態を演じ、後輩の田中が命を落としてしまう。罪悪感にさいなまれ、職を辞す西。彼は、下半身不随となり車椅子の生活を送る堀部に画材道具を贈る為、また田中の妻や余命幾ばくもない美幸との生活資金を工面する為、ヤクザから借金を重ねるようになる。しかし、その返済に首が回らなくなり、思い余って銀行強盗を決行。盗んだ金を堀部や田中の妻に送り、ヤクザに借金を返済すると、残った金を持って美幸と共に旅に出るのだった。だが、そんな西をヤクザたちは利子が足りないと言って執拗に追いかけてきた。妻との残り少ない時間を誰にも邪魔されたくない。西は、追ってきたヤクザたちを次々に殺害していく。やがて、後輩の刑事の中村が西の身を案じて駆けつけてきた。しかし、西は彼にもう少し時間をくれと頼む。静かな砂浜、妻をそっと抱き寄せた西は、自ら自分たちの人生に幕を引く。

以下、ラストシーンです。





つぎは「brother」です。

日本を追われ、米国に逃亡した日本人ヤクザ・山本とその一味がマフィアとの抗争の末敗北して行く様を描いたものです。

次の映像は、マフィアに追い詰められて最期を迎えるところです。



上の2作品の、主人公が死ぬ場所を探し求めていくようなところにシンパシーを感じてしまいます。

残酷なシーンは嫌いですが、北野武の心の中の寂しさやむなしさを表現していると思います。

宮崎県知事の東国原さんが弟子にしてもらう時に、聞かれたことが

「家族旅行したことがあるか?」

順風満帆でほのぼのとした家庭に育った人間にお笑いは向いていないというのが北野さんの哲学だそうです。

「お笑い」とは人を笑わせて幸せにしてあげること。

北野武が自分の中のさびしい部分をバネに成長していった方なのだということが伝わってきます。

「菊次郎の夏」も非常にほのぼのとした、良い作品だと思いますが、酒びたりだった父親とこんな旅行したかったなという思いが表現されていると思ってしまうのは私だけでしょうか?この映画の音楽を担当する、久石譲さんに、このときだけは具体的な構想を述べて、音楽を作ってもらったそうです。

だから、毒舌の中にも愛情がある。

最後に、「キッズリターン」

-2人の親友が、1人はボクシングのチャンピオンを目指し、もう一人はやくざの親分を目指してそれぞれの世界で奮闘していきます。しかし2人とも途中で夢破れ、かつて二人で通った学校の校庭を自転車に二人乗りで走りながら、「俺たち終わっちゃったのかなぁ。」と安藤政信の問いかけに、金子賢が「バカヤロウ、まだ始まってねえよ。」と答えます。なかなかグッときます。-





2011年8月21日日曜日

佐倉同好会歓迎会

13日(土)の佐倉同好会の稽古終了後、私の歓迎会を開いてくれました。

佐倉同好会は私が内弟子になると同時に発足した同好会で、来年で10周年を迎えます。

前任の堀田先生と交代で、6年ぶりに今年の4月より、佐倉同好会に戻ってきました。

3月まで行っていた野田同好会も「面白い人たちがいるなぁ。」と思っていましたが、佐倉同好会も全然、負けていません。

龍は人材豊富です。

少し宴会の様子をご紹介します。

佐倉同好会のイケメンS君です。頭が坊主になりました。



高校時代はバスケ部のKさん。Oさんにお伝えくださいとのことです。



そして、佐倉同好会といえば、龍の「万歳三唱」発祥の地、Sさんの口上をご覧ください。






そんな佐倉同好会ですが宜しくお願いいたします。



また、佐倉同好会では下記の日程で安藤師範をお招きして初の講習会を開催いたします。

皆さん奮ってご参加ください。

日程:10月15日(土)

   AM10:40~12:00

場所:佐倉市民体育館 柔道場

対象:中学生以上

参加費:1,000円

終了後、懇親会有り。追ってご連絡いたします。

2011年8月19日金曜日

変化に対応する

今日は久しぶりに合気道の話です。

合気道には本来、構えはありません。

相手との間合い、体格差、勢い、地形などで、そのつど体勢は変化していきます。

しかし、我々の養神館では構えが明確に決められています。

これはどんなときもこの形を取らなければならないというものではなく、中心力を強化する訓練方法です。

構えにより、力の乗った線を作り、それが崩れないように動くのが基本技であります。

しかし、この訓練は並大抵なことでは、ものになりません。

以前、ある方の本で読んだことがあります。

「まず、石や岩のような強さを身につけるために、皆鍛錬している。この石や岩になるのも容易なことではなれない。この段階を経て、水や風のようになることができる。」

私もまだまだ、石や岩を目指す段階ですから、どうしても時にわかったつもりになって物事に固執してしまいます。

しかし、時に「こうでなければならない。」という思いを捨てて、「物事は必ず変化する。」という視点で大きくとらえていくことも必要です。

そうすると、何があっても、固執することなく、その時、その場を楽しむことができる。

生かして頂いて、ありがとうございます。

以前、紹介した「真雀鬼14」のラストシーンの長門裕之さんの台詞「俺の人生まだまだ東場だ」は私のお気に入りです。

2011年8月18日木曜日

感性の力

今日もノリノリというか、目が覚めてしまっているので、深夜ですが更新です。

我々は学校教育で「よく考えなさい。」と教えられて、育ってきています。

しかし、その学校教育で優秀な成績を修めた方々による悪事が世の中には多いです。

本当に「頭の良い人」というのは、「悪いことを考えない人」のことを言うと思います。

人間の思考には「感性」と「理性」の両面があって、学校では理性の部分を特に大事に扱われます。

しかしその「理性」が生み出しているのが、世の中の悪いことなのではないかとたまに思います。

本当は人間は感じるままに生きられるのが一番いいと思います。

鈍感な私は「感性」に生きられる人に、非常にリスペクトの気持ちを抱きます。

7割の「感性」と3割の「理性」ぐらいで生きられたら、「病」はきっと少ないでしょうね。

考えすぎることから「病」になっていくケースがよくあります。

考えてもわからないときは、自分の「感性」の声に耳を傾けるのも良いかもしれません。

2011年8月16日火曜日

占守島の戦い

久しぶりの更新です。

気分が乗ってこないと更新しないので、不定期ですが、宜しくお願いいたします。

龍道場の夏休みももうすぐ終わろうとしています。

皆さんはいかがお過ごしですか?

さて、昨日は終戦記念日でしたね。

今日は8月15日の終戦の日よりも後に起こった戦い、「占守島の戦い」について触れてみたいと思います。

浅田次郎の小説「終わらざる夏」でも描かれていますが、大戦中、日本はアメリカがアリューシャン列島を超えて攻めてきたときの場合を想定して、千島列島最北端の占守島(シュムシュ島)に守備隊を配置していました。関東軍の精鋭戦車部隊も転進させられ、アメリカに対する防備を固めていました。

ご存じの通り、アメリカは一年を通して作戦を展開できる南方の地域から攻略してきました。よって北方はソ連と「日ソ中立条約」を結んでいたこともあり、終戦間際まで穏やかでした。しかしソ連は、アメリカが日本の占領を独占するのを避けるため、南樺太・千島列島及び満州国・朝鮮半島に8月9日を持って中立条約を一方的に破棄し、侵入してきました。ソ連は15日に日本がポツダム宣言を受諾したことを通告した後も、侵攻を止めませんでした。15日の正午以降、多くの戦線で、ソ連以外の連合国の積極行動は停止し、停戦状態になりました。占守島の師団司令部では、ソ連による攻撃はないものと判断し、武装解除が進んでいました。しかし17日に砲撃があり、18日にはソ連の歩兵大隊上陸し、島の奥深く侵入、日本側は自衛のための戦闘としてこれに応戦し、21日まで戦闘は続き、戦車部隊などの活躍により、浜辺までソ連軍を押し戻し、そして降伏しました。

当初、ソ連は千島列島と北海道の半分を占領することをアメリカに要求しており、占守島における奮戦により、北海道の占領は避けられたとも言われております。

北海道に駐屯する陸上自衛隊第11旅団の第11戦車大隊は陸軍戦車第11連隊の奮戦と活躍を称え、その精神を継承する意味で「士魂戦車大隊」と自称し、戦車の砲塔側面に「士魂」の二文字を描いています。