2011年4月27日水曜日

初心運転者

chiekoさんからブログ用の写真を提供されたので連日更新します。



先日の日曜日、五井同好会会長のEさんの愛車である、SUBARU「outback」を運転させてもらいました。





素晴らしいです。重心が低く、安定した走行は運転していて心地よく、安心感が持てます。

さて、私の車選びは予算と相談しながらじっくりやるつもりですが、調べているうちにいろいろなことがわかってきました。

戦前、「航空機はその国の国力の結集である」と言われた時代がありました。その時代をけん引した、東洋一の規模を誇った航空機メーカー、「中島飛行機」は、海軍機関将校であった中島知久平によって創業され、数々の優れた航空機を世に送り出しました。


開戦当初は無敵を誇った、零式艦上戦闘機や一式戦闘機「隼」に搭載された、「栄」エンジンやその改良型で四式戦闘機「疾風」や紫電改に搭載された「誉」エンジンを開発したのは中島飛行機の設計主任を務めていた伝説の天才設計者、中川良一です。










戦後、航空機開発を禁止された日本の航空機メーカーはその技術の応用がしやすい自動車産業へと次々と参入してきました。

「中島飛行機」は2度と軍需産業に就けないよう12社に分解され、その中のいくつかが合併してできたのが、「富士重工業」(スバルはその自動車製造部門)です。高い技術力を誇った社風は現在でも継承されているようです。






また、中川良一は戦後、富士精密工業(のちのプリンス自動車で「日産」に吸収される)で初の国産車「プリンス」を作る。しかし、トヨタクラウンに押され、「スカイライン」を作ります。プリンス自動車、日産自動車の役員を務め、日本の自動車産業の発展に寄与しています。









中川良一さんが「誉」エンジンを設計したころ、米軍から「グラマンF6Fヘルキャット」が登場し、ゼロ戦や隼は、出力不足と防御の不備に悩まされていました。零戦の「栄」エンジンが約1000馬力だったのに対して、「誉」は試験段階では2000馬力を出し、これで戦局を挽回できると軍首脳部をうならせました。しかし、オクタン価の低下と熟練工が徴兵されることなどによりエンジンの品質を安定させることができなかった、結果として期待された能力を発揮できずにその役目を終えた、悲劇のエンジンとしてそのドラマは伝えられています。


お金がなくても、読書をするのにはお金は余りかからなかったので、色々と調べた時期がありました。
私の中の歴史が現代とつながってきました。先人の英知が時代の大きな荒波を乗り越えて、現代の私たちを支えてくれてくれるのはありがたいです。

最後にミッキーさんが初心者運転ムービーを作成してくれましたのでupします。

一日の始まり

私の一日の始まりは線香3本の、「先祖供養」から始まります。







伊勢 白山道 方式の、まず両親それぞれの系統の先祖に1本ずつ、そしてその他諸々の霊の皆様に1本を奉げながら、







「生かして頂いてありがとうございます。どうぞお召し上がりください。」







と心の中で唱えます。







それから、「アマテラスオホミカミ」と10回心の中で唱えます。







一日は人生の短縮形であると森信三先生も言われています。







一日の始まりに先祖に感謝の想念を送ることにより、良いスタートが切れるような気がしています。







最近読んだ本の中に、次のような一節がありました。







「桜の花が散りゆく景色はなぜ美しいのか?







それは、人間の短い一生に比べても、一瞬の瞬きのように短い一生を全力で生き切ったからである。」







恨みの感情を減らし、感謝の想いを抱くことにより、後悔のない、有意義な人生を送りたいものです。







そして全力で生き抜きたいと思います。







以下、今月初旬に行ってきた「佐倉城址公園」の桜の写真になります。













旧佐倉城址の公園です。戦前は陸軍の練兵場、現在は一般に公開されています。お花見の名所です。



ちょうど満開の桜でした。


美女2人の手料理を堪能しました。


両手に花の西さん。ご満悦そうです。



イケメンに囲まれたchiekoさん、御満悦です。


両手にりんご飴を持ったミッキーさん、御満悦そうです。



2011年4月16日土曜日

オーロラブレイク

今日は「オーロラ」の写真を紹介します。 私が毎週木曜日に指導している、「ヨークカルチャーセンター鎌ヶ谷」一般部の会員のYさんが、カナダのフェアバンクスにオーロラを見に行ってきました。なかなかすごい写真です。空中「オーロラ」だらけ、「オーロラブレイク」と呼ばれているそうです。 以下、Yさんの文章になります。 〈アラスカのオーロラ撮影旅行〉 成田からツアー会社が共同でチャーターしたらしいJAL直行便で6時間半、アラスカ第2の都市フェアバンクスへ。普通は乗換もあり14時間かかります。 第2の都市と言っても、10万人も人口はありませんし、アンカレッジよりかなり北になり、冬は―30度、-40度にもなります。 アメリカ人は主に 夏、秋の旅行で来るところです。 どちらにしろアラスカ州は広いけど人口は少なく、交通網も最小限度しかないし、そこからの移動は車(車で行けるところも限られてる)、セスナ、スノーバイク、犬ぞりなど。 というわけで、日本人がオーロラ鑑賞ツアーに行けるのは、必然的にオーロラ聖地と言われる、カナダのイエローナイフとフェアバンクスということになります。 私の参加したツアーは、撮影目的のかただけというものでしたので、ふつうは行かないらしい、フェアバンクスから2日目に日帰りで片道6時間かけ、バスでひたすらなにもないツンドラ地帯を走り北極圏の入り口まで行き、夜中の撮影をしました。(トイレが大変でした) フェアバンクス2泊後、バスで北1時間半のところにある有名なチェナ温泉リゾートに行き2泊。ここは車で行ける道の突き当たりにあり、冬はオーロラを見に来る人が訪れます。温泉もとても良く、大きな露天風呂があり、水着着用で入りますが、髪の毛などは凍って、油であげた春雨のようになりますね。 1日目は夜遅くにそばにあるチェナ山に雪上車で急な斜面を時間かけて登りました。、360度の展望ができる場所で夜中3時ごろまで撮影、オーロラを待っていたり、寒さにがまんできなくなった時は、おおきなまあるいモンゴルのテントみたいなところで、休んだり、温かい飲み物などが飲めたり出来るようになってますが、それでも寒さはかなりなものでした。 ここではちょっとしたアクシデントがありました。アラスカのローカルテレビの若い女性キャスターになぜか目をつけられ、どうしても私をインタビュウーしたいとゆずらず、もちろん何度も断りましたが、だめで、通訳を添乗員にお願いし、1時間ほど付き合う羽目になりました。翌日放送されたみたいです。見た人の話だと私、女性カメラマンって感じになってたらしい。(苦笑) 最終日は昼間犬ぞり体験などをし、夜中はセスナ滑走路での最高のオーロラ爆発と遭遇でした。

2011年4月13日水曜日

総会合宿参加者募集

千葉県養神館合気道連盟が創立10周年を記念して、毎年行っている定期総会に合わせて合宿を行います。

まだ、震災の影響によりまだ申し込みが定員に達していないため、再度募集いたします。

千葉県連盟より宿泊費補助が5,000円出るので非常に参加しやすい価格になっています。

2時間の稽古が2回、総会、懇親会、朝市見学などいろいろとありますので、是非お勧めです。

日程等は以下の通りです。

日程    4月29日(金)・30日(土)   集合・現地:午後2時30分  解散・現地:12時30分
場所    日本武道館研修センター
       千葉県勝浦市沢倉582  TEL 0470-73-2111
参加費   4000円 (1人当たり)   ※交通費は自己負担になります。
対象    中学生以上 定員    100人
内容    講習会2時間を2回、総会、懇親会
申込締切 4月19日(火)
申込方法 各団体代表者または龍指導員まで直接お申込みいただくか、
       次の事項を記入の上、メールにてお申し込み下さい。
       ・氏名、性別、所属団体、現在の段級位、住所、電話番号

2011年4月9日土曜日

時代

この4月は色々なことがあります。

龍内弟子の堀田先生が独立され、それに合わせて堀田先生が担当していた佐倉同好会を6年ぶりに私が担当すりことになりました。久しぶりの「佐倉同好会」はメンバーも西会長以外はガラリと変わり、「新しい先生が来たよー。」と会員の方の声。(戻ってきただけなのに・・・)元々佐倉同好会は周辺に熱心な龍の会員がおり、新しい内弟子(私のことです。)が加わったことがきっかけで発足した会なのです。

やはり今朝は間違って、野田同好会に行こうとしてしまいました。(野田同好会の方々6年間ありがとうございました。)

また、この4月からは袖ヶ浦昭和同好会の指導も再び担当することになります。月2回指導の予定です。まだ節電の影響で、正式には始まってはいませんが・・・。大石指導員が体調不良により、指導を退いたことは私にとって本当に痛手でした。これ以上無理を言えず、やむを得ない決断でした。いま龍は会員数約1000人、そのうち千葉県南部の会員は合計約100名。10人に1人は南部会員です。この10年でこれだけ発展することは大石指導員という名参謀がいなければ無理だったでしょう。ゆっくりと治療に専念していただいて、再起されるのを待ちたいと思います。そして同じく大石指導員と交代で、木更津さくら会にも月1回指導に行くことになりました。

自分のまわりだけでも見えない大きな流れが変わりつつあるのが感じられます。

やはり色々な人の出入りがあり、色々な経験をしてゆくことで成長をしてゆくのでしょう。

でも一つの「時代」が終わって、次の時代が訪れようとしているのを感じている最近です。

2011年4月4日月曜日

祝・運転免許取得

こんにちは。

前回のブログで申し上げた「良いこと」とは、私の「運転免許取得」のことでした。

大したことないですよね。お騒がせいたしました。

ご存知の方も多いと思いますが、実は、私まだ車の運転免許を持っていなかったんです。

今年になって、30歳にして高校を卒業したばかりの子たちに混じって自動車教習所に通っていました。どうせ通うなら秘密にして、いきなり取って驚かせてやれと思い。誰にも言わずに3カ月余り、3月末に教習所を卒業し、晴れて昨日、免許センターで学科試験に合格し、運転免許をいただいてまいりました。(卒業検定で路上を走っているときは「つかさ」君と遭遇しました。たぶん本人気づいていないですが・・・、また教習所では某同好会の方がバイクの練習していましたねー。)

はじめて、車の運転免許を取得したいと思ったのは20歳。実際10年かかってしまいました。10年前、学校に通わせてもらって、車の免許も取り、仲間と青春を謳歌している同級生が本当にまぶしかった。でもそのおかげで周りと自分を比べてはいけないと気づかされました。「相対」の世界から「絶対」の世界を目指すことができました。

そんな思い出を振り返りながら、免許センターに向かいました。

私の免許取得には10年分の思いがこもってます。だから、1人で喜ばせてもらいます。

途中で「自転車こいで~」のフレーズが入っているので私のお気に入りの、「B'z」の「永遠の翼」で今日のブログは終わりです。

2011年4月2日土曜日

堀田先生独立おめでとうございます。

4月になりました。

原発問題も少しずつ復興に向かっていいるようです。

お役人の責任転嫁体質も露呈してまいりましたが、こちらは落ち着いて見守っていきたいと思います。

さて、3月末日をもちまして、堀田先生が龍道場を退職し独立されました。内弟子として12年間精進され、
今後は埼玉方面での合気道普及、道場建設に邁進されるということです。

私は内弟子になってから現在の8年間堀田先生にお世話になりました。

堀田先生の「小細工をしない、物事に正面から向き合う」姿に刺激を受けながら今まで内弟子生活を送って参りました。今後は、筆頭内弟子として、堀田先生の培ってきてくださった内弟子の気風を失わず、精進して参りたいと思います。

また、来週9日(土)から、野田同好会の指導は、私からジム師範代に代わります。野田で指導した6年間の間では今後の合気道指導者としてかけがえのない経験をたくさんさせてもらいました。今後はジム師範代を指導者として、田中会長を中心に発展してもらいたいと思います。

やはり、野田同好会は酒豪ぞろい。今日はお手柔らかにすみましたが、現在東武野田線で帰る途中です。今まで本当にいろんなことがありました。一言では言い表せません。来週からは佐倉同好会指導員として新たに頑張って参りたいと思います。

来週には良い知らせをできる予定です。野田の田中会長には一足早く教えてしまいました。まだだあれも知りません。

まっ大したことじゃありませんから!一般社会人なら当たり前かもしれませんね!