2011年7月29日金曜日

あの人は今?

今日は以前、私が亀有に指導に行っていた時のストリートミュージシャン・中村健佐(なかむらけんすけ)さんを紹介します。

「青山学院大学卒、本田技研工業に就職、27歳でサクソフォーンを独学で始める、40歳の時に本田技研を退職しプロのストリートミュージシャンになる。」(中村健佐オフィシャルサイトより。)

きれいなメロディなので亀有駅前で立ち止まって聞いていました。

今でも精力的に活動されているようです。



好きなことをやってメシを食うってやっぱり最高ですよね。

私もそのはしくれとして頑張っていきます。

しかし、好きなことやっていても色々とあります。今日の最後の言葉は

「風車 風が吹くまで 昼寝かな」

幣原喜重郎に嫌われ左遷された時の故・広田弘毅元首相の言葉です。

お気に入りシネマ

今月のお気に入りシネマは清水健太郎主演のVシネマ「雀鬼」シリーズです。

その中でも、「真雀鬼14・オーラスの向こう側」を紹介します。

ふとした事がきっかけで「ジュクの雀鬼」の異名を持つ桜井章一と、かつて「ハマの龍虎」と呼ばれ、コンビ打ちでは右に出るものがいないと言われた老雀士が出会い、勝負師としての心が通じ、すぐに打ち解けあいます。しかし、かつての舎弟の事業が傾き、それを助ける為に現役復帰を決意します。運命とは皮肉なもので勝負の相手に決まったのは桜井章一でした。卓上に命をかける男たちの勝負は、勝っても負けてもカッコいいです。私は麻雀をやりませんし、ルールもよくわかりませんが、面白いので何度も見ています。



さて、先日の総合審査2日目の始まりに安藤師範が「命をかけてやってください。」とおっしゃったそうですね。きっと免状という紙切れが欲しくて集まった人たちが多かったのでしょう。31日(日)の南部合同審査では命までは懸けなくとも、自分の中の大事なものを懸けて取り組んでほしいです。

「職人(人間)とは資格ではなく生き方にこだわるべきだ。」

桜井章一さんの言葉です。

2011年7月28日木曜日

我、悪党なり。

毎日、色々なことがあります。

「変化連続、一瞬懸命」に生きられるようになりたいです。

(市原養神会の潤間会長に頂いた言葉です。)

生きるということは多かれ少なかれ、悪事を重ねます。

「ウソも方便」というようにウソをつかないということもなかなか難しいです。

しかし「ウソ」をついたら2倍の「正直」で埋め合わせるのがよいと思います。

常に「性悪説」に立ち返り、少しでも自分を良い方向へ修正する努力が大切であると思います。

「罪なくして転生はなし」

霊能者・木村藤子さんの言葉です。

誰もが前世から引きずるカルマを抱えていて、その問題を解決するために、今生に生まれてきています。

私も結構、業が深いかも。と時々思います。

2011年7月27日水曜日

お久しぶりです。

久しぶりの更新です。

南部の皆さんは審査に向けて気合が入ってきたところだと思います。

さて、今日は「道」についてお話したいと思います。

合気道は「道」です。テクニックではありません。

「道」である以上、途中で降りることはできません。

よって、知識やテクニックから距離を置き、厳しさに身を置く自分がいなければなりません。

テクニックは多少あるかもしれませんが、その気概がなければならないと思います。

「夫婦」というのもそうだと思います。

結婚したから、子供ができたから、子育てをしたから、「夫婦」なのかと言われればちょっと違うと思います。

最後まで寄り添ってみないとそこはわからないと思います。

不仲であっても、最後の最後に夫婦になる人たちもいるはずです。

いやそうあるべきです。

人間の生涯とはやはり修行です。

「楽を求めず、厳しさに身を置く。」

ひとり者のひとり言でした。

2011年7月16日土曜日

審査途中経過

さあ夏の総合審査1日目が終了しました。

1日目の審査では思うように結果が出せなかった方が多数いらっしゃったようです。

「不調こそわが実力なり」です。

ここからもう一度始めていきましょう。

運にも天運・地運・人運があり、調子の悪い時こそ人運を高める努力をする。

自らの努力と工夫を積み重ね、次のチャンスが回ってきたときに間に合うように備える。

私の審査は31日(日)の南部合同審査まで続きます。

2011年7月15日金曜日

不調こそ我が実力なり

こんにちは。

あまりの暑さで「ドキがムネムネします。」

龍道場朝クラスのTさんに伝授してもらったおやじギャグです。

なかなか気に入っています。

さて、今日も合気道の話です。

今月はなるべく合気道の話題でいきます。

私は読書を通して色々な方に出会いました。

その人たちの中でも私に大きく影響を与えている人がいます。

その人の言葉で気に入っているのは

「不調こそわが実力なり」です。

私が受け持っている会で最近非常に盛り上がっている同好会で皆さんの信頼を裏切るようなことをしてしまいました。悪気も下心もなかったけれど、いやな思いをされた方がいるのは確かです。
弁解をする気もありません。

私のような不器用な人間のところにあれだけの良い人たちが集まっていること自体、奇跡だったと思います。

今回のようなことが起こって信頼を失ってみて、不謹慎ですが少し安心してしまっています。

これでこそ俺らしいじゃないかと。

調子の良い時を自分の実力と思わずに、不調の時こそ自分の実力と思うことで悪い流れを断ち切る。

私の心の師と呼べるその方は次の言葉もよく使います。

「修正力」

人間は進化よりも修正ができればすごい。ガンになってももとに戻ればいいし、何か悪いことをしても自然に反省できるようになる。

信頼を失ったここから修正するんだ。今までだっていろんなところから修正してきたじゃないか。
と思っています。

小学生の時、校庭でサッカーや野球をする同級生を見て馬鹿にしていました。
あんなことやって将来何の役に立つんだ?
と思っていました。

よって体育の成績は悪かったです。

あんなに運動音痴だった自分が合気道を教えていること自体、どうかしていると思います。

ここから始まった私の合気道ですから、前進あるのみです。

始めた飛躍受け身した時腰打っていたかったなぁ。

良い思い出です。

しかし「合気道」にかぎらず武道の世界では、「間合い」が非常に大切にされます。

「間合い」とは「間に合う」と書いて「間合い」と読みます。

合気道に限らず、何事も間に合うこと意識して、自分を律し、訓練することで上達していきます。

私は間に合っていなかったです。

2011年7月13日水曜日

「あつ」は「なつ」いですね

すみません。

おやじギャグでさらに暑さが増したことでしょう。

今日も合気道の話でもしてみます。

投げ技の最後にとる「残心」。

「残心」こそが生き様である。

次に何をやってやろうかと色々と思いを巡らすのではなく、投げ終わった体勢を整える。何も利益のないところに心を置く。だから「無心」になれる。

脱いだ靴をそろえる、食べ終わった食器を片づける、すべて「残心」。後始末をきっちり行うことで次の準備につながる。

背中で語る「合気道家」講座でした。

2011年7月12日火曜日

夏になりました。

7月はじめての更新です。

梅雨も明け、暑い日が続きます。

各クラスでは審査稽古も追い込みに入っています。

ブログの更新を楽しみにしている方達もいらっしゃるということなので久しぶりに書かせてもらいます。

たまには合気道のことでも書いてみましょうか。

皆さんは審査を受験するとき、どんな心構えでしょうか?

段や級を「取る」、それとも「頂く」どちらがしっくりきますか?

元々、合気道だけでなく日本古来の武道や芸事には審査というシステムはほとんどありませんでした。

ある程度段階が進んだ時、「目録」、「免許」、「皆伝」などと、節目として師匠から弟子に授けることが一般的でした。門弟が増えて師匠の目が全員に行きわたりずらくなった時に、段級位の授与を公平にするために導入され始めたのが審査です。今でも植芝開祖の最後の内弟子、清水健二先生の天道館道場では審査ではなく、年始の鏡開きに合わせて昇段者を発表すると聞いています。普段の稽古の姿勢をみて、師匠の中でそれとなく審査が行われていたのでしょう。

私に関して言えば、「頂く」心構えです。

「取る」という言葉からは「分捕りあい」すなわち戦争につながっていく発想があると思います。日本人は戦争に負けた後、実際の戦争でなければ良いとして、経済で戦争し、受験でも戦争し、企業戦士という言葉まで生まれました。企業戦士の中で戦死された方も多いと思います。
分捕りあいの世の中でせめて「合気道」ぐらいは「頂く」で行きたいものです。
「頂く」という言葉からは自然の恵みを頂いて生きてきた。農耕民族、日本人の精神性が感じられます。

合気道の審査の話に戻りますが、審査の時にどれだけできたかということを終わってからよく話している方がいますが、審査に向かってどんな稽古をしてきたかが、結果よりも重要であるはずです。

いつかマラソン選手の中で「当日スタート地点に立つことができたら、勝てると思います。」と言っていた方がいました。その選手が大会当日に向かってどれほど厳しい訓練をしているか伝わってくる言葉でした。

「勝てば官軍」という価値観が横行する世の中で、私は「過程」を大事にする稽古をしていきたいと思います。

勝っていても負けている人がいます。逆に負けていても勝っている人もいます。

意味のない成功を拾うぐらいなら、内容のある失敗をしたいものです。