先日の日曜日、五井同好会会長のEさんの愛車である、SUBARU「outback」を運転させてもらいました。
素晴らしいです。重心が低く、安定した走行は運転していて心地よく、安心感が持てます。
さて、私の車選びは予算と相談しながらじっくりやるつもりですが、調べているうちにいろいろなことがわかってきました。
戦前、「航空機はその国の国力の結集である」と言われた時代がありました。その時代をけん引した、東洋一の規模を誇った航空機メーカー、「中島飛行機」は、海軍機関将校であった中島知久平によって創業され、数々の優れた航空機を世に送り出しました。
素晴らしいです。重心が低く、安定した走行は運転していて心地よく、安心感が持てます。
さて、私の車選びは予算と相談しながらじっくりやるつもりですが、調べているうちにいろいろなことがわかってきました。
戦前、「航空機はその国の国力の結集である」と言われた時代がありました。その時代をけん引した、東洋一の規模を誇った航空機メーカー、「中島飛行機」は、海軍機関将校であった中島知久平によって創業され、数々の優れた航空機を世に送り出しました。
開戦当初は無敵を誇った、零式艦上戦闘機や一式戦闘機「隼」に搭載された、「栄」エンジンやその改良型で四式戦闘機「疾風」や紫電改に搭載された「誉」エンジンを開発したのは中島飛行機の設計主任を務めていた伝説の天才設計者、中川良一です。
戦後、航空機開発を禁止された日本の航空機メーカーはその技術の応用がしやすい自動車産業へと次々と参入してきました。
「中島飛行機」は2度と軍需産業に就けないよう12社に分解され、その中のいくつかが合併してできたのが、「富士重工業」(スバルはその自動車製造部門)です。高い技術力を誇った社風は現在でも継承されているようです。
「中島飛行機」は2度と軍需産業に就けないよう12社に分解され、その中のいくつかが合併してできたのが、「富士重工業」(スバルはその自動車製造部門)です。高い技術力を誇った社風は現在でも継承されているようです。
また、中川良一は戦後、富士精密工業(のちのプリンス自動車で「日産」に吸収される)で初の国産車「プリンス」を作る。しかし、トヨタクラウンに押され、「スカイライン」を作ります。プリンス自動車、日産自動車の役員を務め、日本の自動車産業の発展に寄与しています。
中川良一さんが「誉」エンジンを設計したころ、米軍から「グラマンF6Fヘルキャット」が登場し、ゼロ戦や隼は、出力不足と防御の不備に悩まされていました。零戦の「栄」エンジンが約1000馬力だったのに対して、「誉」は試験段階では2000馬力を出し、これで戦局を挽回できると軍首脳部をうならせました。しかし、オクタン価の低下と熟練工が徴兵されることなどによりエンジンの品質を安定させることができなかった、結果として期待された能力を発揮できずにその役目を終えた、悲劇のエンジンとしてそのドラマは伝えられています。
お金がなくても、読書をするのにはお金は余りかからなかったので、色々と調べた時期がありました。
私の中の歴史が現代とつながってきました。先人の英知が時代の大きな荒波を乗り越えて、現代の私たちを支えてくれてくれるのはありがたいです。
最後にミッキーさんが初心者運転ムービーを作成してくれましたのでupします。