2011年12月30日金曜日

年の瀬

龍道場は現在冬季休暇中です。

大掃除も無事に終わり、佐倉での講習会、納会も楽しく過ごせました。

1年の終わりに万歳を見れて良かった。

見逃してしまった方はどうぞこちらから・・・(八千代のK会長が撮っててくれました。)



そして、27日にはH先生が畳32枚を中型トラックに乗せて私の家に、やってきました。

いずれ建設するご自分の道場の畳を一時保管したいとのこと。

何せ私の家は倉庫ですから、畳の100枚や200枚くらい、なんてことはありません。

堀田先生とは内弟子になる前から、ご縁があり、今日も大変可愛がっていただきました。

畳を下ろし、昼食をごちそうになったあと、

「じゃあこれから浦安一緒に来い!」

と嫌がる私を無視したまま、

「堀田先生、次、右です。」

と私が案内をするのとは、逆方向に。

そして勝手に高速に乗る。

そしてなぜか、木更津の方面に、

房総半島を暴走するH先生でした。

暴走とといえば、金総書記が亡くなった北朝鮮の動向は気になりますね。

北朝鮮の体制についてはいろいろな問題がありますが、北朝鮮の「イムジン河」はいい曲です。



朝鮮戦争で南北が分断され、北朝鮮と韓国の国境を流れる、臨津江(イムジン河)のそばで南の故郷に思いを馳せながら、祖国の統一を願う内容です。

日本ではこの曲は当初、多方面からの圧力により、発売禁止になりました。しかし、良いものは必ず世に出てくるものです。

同じく放送禁止になった、「手紙」という曲も心にグッときます。



被差別部落の女性の遺書がベースになっている曲で、各メディアが放送を自粛しため表に出てこなかった曲です。

愛だの恋だの言っている歌よりもこういう方が心に染み込んでくる、今年の私の年末です。

2011年12月22日木曜日

冬の総合審査・納会

冬の総合審査お疲れ様でした。

今回受験した方達は、よく実力を発揮されたようで、合格者も多かったです。

級や段をもらうということは、もらったからその段階に至ったというものではなく、その段階にふさわしい実力を身につけるよう、精進しなさいということです。昇段、昇級した方達はそのつもりで今後も頑張ってもらいたいです。

そして、18日(日)の夜には、龍道場にて、冬の納会がありました。出席者は約70名、今回は総合審査の弐段以上の受験者に、安藤師範の直筆の色紙(審査の時の写真入り)がプレゼントされました。これは一生の思い出になりますね。

そして、明日は大掃除。

きれいな道場で新年を迎えたいと思います。

2011年12月9日金曜日

審査が近付いてきました。

もうすぐ冬の審査です。

たくさんの方たちが頑張っていますね。

志津同好会の会長なんかもう古稀を迎えているのに、参段受験のためにほぼ毎日稽古しています。

(着々と参段受験の算段を整えているようです。)

今年も残りあとわずか・・

悔いのないように一日一日を大事にしていきたいです。

2011年11月19日土曜日

AAC

こんにちは。

巷ではAACは(Akira Aikido Club)という意味だとか、言われているそうですが、

正しくは(Ando Aikido Club)です。

AACは特別コースが創設される以前、安藤先生が直接指導していました。

当時、いつも受けを取っていたのはすでに独立した、スティーブン先生、比嘉先生、堀田先生達でした。

安藤先生も自分の稽古だからと、袴をはかない時期もありました。

なかなか楽しかったですよ。

今でいう、研修稽古や黒帯会みたいな感じでしたね。

私が内弟子になった年から、特別コースが始まり、その次の年から私がAACの指導の担当になり、今に至っています。

AACで稽古を積んで、特別コースに入り、指導員になった人もいます。

最近AACの人数が少ないのはさみしいですね。

人数がすべてではないですが、やる気のある人たちにもっと参加してもらいたいです。

人数といえば、最近、五井同好会の少年部が増殖中です。

なかなか大変ですが、補助指導の方達も増員して頑張っていきたいと思います。

2011年11月15日火曜日

今月の予定

皆さん、こんにちは。

全日本の演武大会が終わり、審査稽古も始まっているこの頃ですが、

今月も色々と行事があります。

11月17日(木) 市原さくら会 無料体験教室

        AM 10:00~11:00

        場所:市原市中央武道館

        市原市近辺の合気道に興味がある方、ぜひお越しください。

11月20日(日) 三橋師範代講習会

        PM 5:00~6:00

場所:袖ヶ浦市立長浦中学校 柔道場

        参加費:500円

        毎月1回行われる、私の講習会です。

        今回のテーマは・・・・

        お楽しみにー。

私の担当するAACもビジター料が、

1000円から500円になりました。

皆さんのご参加お待ちしています。

2011年11月4日金曜日

全日本大会終わりました。

演武大会終わりました。

出場された方々お疲れ様でした。

演武会に出るたびに思うのは、一度でいいから、地味でもいいからごまかす事無く、全力を出し切りたい。ということです。やはりまだまだです。邪心が無くならない。

それと、人の演武を見て思うのは、演武会とは仕手と受けだけではなく、見ている人も参加して良い「場」を作り上げるものだと思います。

だから、演武を見ている人ががっかりするような演武はしない方が良いです。そんな場面が少しあったのは残念です。

自分自身が納得がいくように、そして自己満足におちいることなく、観衆の心に響くような演武。やってみたいです。

合気道は勝ち負けではなく、仕手と受けに分かれて行います。だからお互いに良い流れを作る努力が必要です。レベルがまだ低い場合は、良い流れを持っている人に合わせることで高いレベルに連れて行ってもらうことができます。だから私は安藤先生の流れに間に合うように、合わせられるように自分を持っていきます。また、自分が逆の立場になった場合には良い流れを作れるように努力します。

そして、普段から努力して頑張っている人には、技術的にはもう少しな場合でも、良い流れの「受け」を振り込んであげたいです。逆に努力や工夫を怠っている場合は上手くても絶対に良い流れは起きません。

合気道は「生き物」ですから、今日やっていることと来年が同じではいけません。少しでも向上しているように今日からまた頑張ります。

ちなみに「いきものがかり」なんて係は私の小学校時代にはなく、飼育係はありました。そして私は「テレビ係」でした。クラスでテレビを見るときにスイッチを押す係です。 誰でもできるじゃん。

2011年9月27日火曜日

今後の予定

こんにちは。

先日の更新の際は、たくさんのコメントくださり皆さまありがとうございます。

運転免許取得以来のコメント数でした。

さて、今日は今後の予定のお知らせをしたいと思います。

10月1日(土) 合気道ライブ「真空の気」編
         
         於:朝日カルチャー千葉
     
         時間:15:00~18:00

         受講料 ¥4,830

前回大変好評だった、朝カルでの合気道ライブ。実技を交えた講演です。

まだ若干空きがあります。

行ってみたい方は私までご連絡ください。

¥3500でチケットをお譲りします。

次に

10月15日(土) 佐倉同好会講習会 
     
        於:佐倉市民体育館 柔道場

        時間:10:40~12:00

        参加費 1,000円

佐倉同好会での初めての安藤師範の講習会。こちらもどんなものになるか楽しみです。


           

       

2011年9月9日金曜日

お気に入り映画

今月はお気に入り映画からです。

私は中井喜一が主演している映画が好きです。

最近DVDで見たのが「Railways」

49歳で一流企業のエリートサラリーマンを辞めて、地方の電車の運転士になった男の物語です。



皆さんは夢を置き去りにしていませんか?

次は以前も紹介しましたが、「壬生義士伝」



こてこての盛岡弁を話す中井喜一も愛嬌があっていいですよ。

次に中井喜一デビュー作の「連合艦隊」



なかなか初々しいですね。

この映画の主題歌がなかなかお気に入りで「you tube」で聞いています。




かつて世界最強を謳った連合艦隊が太平洋の海で壊滅していく、「無常」を表していると思いますが、

人生の様々な場面にあてはまるような気がします。

良くも悪くも物事は必ず変化していきます。

生かして頂いてありがとうございます。

2011年8月30日火曜日

お気に入り映画

今月のお気に入り映画は北野武監督シリーズです。

27日(土)は各地で花火大会がったようですね。それにちなんでまずはこちらから、

「HANA-BI」

-あらすじ-
凶悪犯の張り込みの最中に親友で同僚の堀部の好意に甘え、数カ月前に幼い子供を亡くし失意のまま体調を崩していた妻・美幸を病院に見舞った西は、そこで妻が不治の病で助からないことを聞かされる。ショックを受ける西。だがそんな彼に、更に堀部が犯人の凶弾に倒れたとの連絡が入った。その後、犯人は別の場所で発見されるも、逮捕へのあせりから西は失態を演じ、後輩の田中が命を落としてしまう。罪悪感にさいなまれ、職を辞す西。彼は、下半身不随となり車椅子の生活を送る堀部に画材道具を贈る為、また田中の妻や余命幾ばくもない美幸との生活資金を工面する為、ヤクザから借金を重ねるようになる。しかし、その返済に首が回らなくなり、思い余って銀行強盗を決行。盗んだ金を堀部や田中の妻に送り、ヤクザに借金を返済すると、残った金を持って美幸と共に旅に出るのだった。だが、そんな西をヤクザたちは利子が足りないと言って執拗に追いかけてきた。妻との残り少ない時間を誰にも邪魔されたくない。西は、追ってきたヤクザたちを次々に殺害していく。やがて、後輩の刑事の中村が西の身を案じて駆けつけてきた。しかし、西は彼にもう少し時間をくれと頼む。静かな砂浜、妻をそっと抱き寄せた西は、自ら自分たちの人生に幕を引く。

以下、ラストシーンです。





つぎは「brother」です。

日本を追われ、米国に逃亡した日本人ヤクザ・山本とその一味がマフィアとの抗争の末敗北して行く様を描いたものです。

次の映像は、マフィアに追い詰められて最期を迎えるところです。



上の2作品の、主人公が死ぬ場所を探し求めていくようなところにシンパシーを感じてしまいます。

残酷なシーンは嫌いですが、北野武の心の中の寂しさやむなしさを表現していると思います。

宮崎県知事の東国原さんが弟子にしてもらう時に、聞かれたことが

「家族旅行したことがあるか?」

順風満帆でほのぼのとした家庭に育った人間にお笑いは向いていないというのが北野さんの哲学だそうです。

「お笑い」とは人を笑わせて幸せにしてあげること。

北野武が自分の中のさびしい部分をバネに成長していった方なのだということが伝わってきます。

「菊次郎の夏」も非常にほのぼのとした、良い作品だと思いますが、酒びたりだった父親とこんな旅行したかったなという思いが表現されていると思ってしまうのは私だけでしょうか?この映画の音楽を担当する、久石譲さんに、このときだけは具体的な構想を述べて、音楽を作ってもらったそうです。

だから、毒舌の中にも愛情がある。

最後に、「キッズリターン」

-2人の親友が、1人はボクシングのチャンピオンを目指し、もう一人はやくざの親分を目指してそれぞれの世界で奮闘していきます。しかし2人とも途中で夢破れ、かつて二人で通った学校の校庭を自転車に二人乗りで走りながら、「俺たち終わっちゃったのかなぁ。」と安藤政信の問いかけに、金子賢が「バカヤロウ、まだ始まってねえよ。」と答えます。なかなかグッときます。-





2011年8月21日日曜日

佐倉同好会歓迎会

13日(土)の佐倉同好会の稽古終了後、私の歓迎会を開いてくれました。

佐倉同好会は私が内弟子になると同時に発足した同好会で、来年で10周年を迎えます。

前任の堀田先生と交代で、6年ぶりに今年の4月より、佐倉同好会に戻ってきました。

3月まで行っていた野田同好会も「面白い人たちがいるなぁ。」と思っていましたが、佐倉同好会も全然、負けていません。

龍は人材豊富です。

少し宴会の様子をご紹介します。

佐倉同好会のイケメンS君です。頭が坊主になりました。



高校時代はバスケ部のKさん。Oさんにお伝えくださいとのことです。



そして、佐倉同好会といえば、龍の「万歳三唱」発祥の地、Sさんの口上をご覧ください。






そんな佐倉同好会ですが宜しくお願いいたします。



また、佐倉同好会では下記の日程で安藤師範をお招きして初の講習会を開催いたします。

皆さん奮ってご参加ください。

日程:10月15日(土)

   AM10:40~12:00

場所:佐倉市民体育館 柔道場

対象:中学生以上

参加費:1,000円

終了後、懇親会有り。追ってご連絡いたします。

2011年8月19日金曜日

変化に対応する

今日は久しぶりに合気道の話です。

合気道には本来、構えはありません。

相手との間合い、体格差、勢い、地形などで、そのつど体勢は変化していきます。

しかし、我々の養神館では構えが明確に決められています。

これはどんなときもこの形を取らなければならないというものではなく、中心力を強化する訓練方法です。

構えにより、力の乗った線を作り、それが崩れないように動くのが基本技であります。

しかし、この訓練は並大抵なことでは、ものになりません。

以前、ある方の本で読んだことがあります。

「まず、石や岩のような強さを身につけるために、皆鍛錬している。この石や岩になるのも容易なことではなれない。この段階を経て、水や風のようになることができる。」

私もまだまだ、石や岩を目指す段階ですから、どうしても時にわかったつもりになって物事に固執してしまいます。

しかし、時に「こうでなければならない。」という思いを捨てて、「物事は必ず変化する。」という視点で大きくとらえていくことも必要です。

そうすると、何があっても、固執することなく、その時、その場を楽しむことができる。

生かして頂いて、ありがとうございます。

以前、紹介した「真雀鬼14」のラストシーンの長門裕之さんの台詞「俺の人生まだまだ東場だ」は私のお気に入りです。

2011年8月18日木曜日

感性の力

今日もノリノリというか、目が覚めてしまっているので、深夜ですが更新です。

我々は学校教育で「よく考えなさい。」と教えられて、育ってきています。

しかし、その学校教育で優秀な成績を修めた方々による悪事が世の中には多いです。

本当に「頭の良い人」というのは、「悪いことを考えない人」のことを言うと思います。

人間の思考には「感性」と「理性」の両面があって、学校では理性の部分を特に大事に扱われます。

しかしその「理性」が生み出しているのが、世の中の悪いことなのではないかとたまに思います。

本当は人間は感じるままに生きられるのが一番いいと思います。

鈍感な私は「感性」に生きられる人に、非常にリスペクトの気持ちを抱きます。

7割の「感性」と3割の「理性」ぐらいで生きられたら、「病」はきっと少ないでしょうね。

考えすぎることから「病」になっていくケースがよくあります。

考えてもわからないときは、自分の「感性」の声に耳を傾けるのも良いかもしれません。

2011年8月16日火曜日

占守島の戦い

久しぶりの更新です。

気分が乗ってこないと更新しないので、不定期ですが、宜しくお願いいたします。

龍道場の夏休みももうすぐ終わろうとしています。

皆さんはいかがお過ごしですか?

さて、昨日は終戦記念日でしたね。

今日は8月15日の終戦の日よりも後に起こった戦い、「占守島の戦い」について触れてみたいと思います。

浅田次郎の小説「終わらざる夏」でも描かれていますが、大戦中、日本はアメリカがアリューシャン列島を超えて攻めてきたときの場合を想定して、千島列島最北端の占守島(シュムシュ島)に守備隊を配置していました。関東軍の精鋭戦車部隊も転進させられ、アメリカに対する防備を固めていました。

ご存じの通り、アメリカは一年を通して作戦を展開できる南方の地域から攻略してきました。よって北方はソ連と「日ソ中立条約」を結んでいたこともあり、終戦間際まで穏やかでした。しかしソ連は、アメリカが日本の占領を独占するのを避けるため、南樺太・千島列島及び満州国・朝鮮半島に8月9日を持って中立条約を一方的に破棄し、侵入してきました。ソ連は15日に日本がポツダム宣言を受諾したことを通告した後も、侵攻を止めませんでした。15日の正午以降、多くの戦線で、ソ連以外の連合国の積極行動は停止し、停戦状態になりました。占守島の師団司令部では、ソ連による攻撃はないものと判断し、武装解除が進んでいました。しかし17日に砲撃があり、18日にはソ連の歩兵大隊上陸し、島の奥深く侵入、日本側は自衛のための戦闘としてこれに応戦し、21日まで戦闘は続き、戦車部隊などの活躍により、浜辺までソ連軍を押し戻し、そして降伏しました。

当初、ソ連は千島列島と北海道の半分を占領することをアメリカに要求しており、占守島における奮戦により、北海道の占領は避けられたとも言われております。

北海道に駐屯する陸上自衛隊第11旅団の第11戦車大隊は陸軍戦車第11連隊の奮戦と活躍を称え、その精神を継承する意味で「士魂戦車大隊」と自称し、戦車の砲塔側面に「士魂」の二文字を描いています。






2011年7月29日金曜日

あの人は今?

今日は以前、私が亀有に指導に行っていた時のストリートミュージシャン・中村健佐(なかむらけんすけ)さんを紹介します。

「青山学院大学卒、本田技研工業に就職、27歳でサクソフォーンを独学で始める、40歳の時に本田技研を退職しプロのストリートミュージシャンになる。」(中村健佐オフィシャルサイトより。)

きれいなメロディなので亀有駅前で立ち止まって聞いていました。

今でも精力的に活動されているようです。



好きなことをやってメシを食うってやっぱり最高ですよね。

私もそのはしくれとして頑張っていきます。

しかし、好きなことやっていても色々とあります。今日の最後の言葉は

「風車 風が吹くまで 昼寝かな」

幣原喜重郎に嫌われ左遷された時の故・広田弘毅元首相の言葉です。

お気に入りシネマ

今月のお気に入りシネマは清水健太郎主演のVシネマ「雀鬼」シリーズです。

その中でも、「真雀鬼14・オーラスの向こう側」を紹介します。

ふとした事がきっかけで「ジュクの雀鬼」の異名を持つ桜井章一と、かつて「ハマの龍虎」と呼ばれ、コンビ打ちでは右に出るものがいないと言われた老雀士が出会い、勝負師としての心が通じ、すぐに打ち解けあいます。しかし、かつての舎弟の事業が傾き、それを助ける為に現役復帰を決意します。運命とは皮肉なもので勝負の相手に決まったのは桜井章一でした。卓上に命をかける男たちの勝負は、勝っても負けてもカッコいいです。私は麻雀をやりませんし、ルールもよくわかりませんが、面白いので何度も見ています。



さて、先日の総合審査2日目の始まりに安藤師範が「命をかけてやってください。」とおっしゃったそうですね。きっと免状という紙切れが欲しくて集まった人たちが多かったのでしょう。31日(日)の南部合同審査では命までは懸けなくとも、自分の中の大事なものを懸けて取り組んでほしいです。

「職人(人間)とは資格ではなく生き方にこだわるべきだ。」

桜井章一さんの言葉です。

2011年7月28日木曜日

我、悪党なり。

毎日、色々なことがあります。

「変化連続、一瞬懸命」に生きられるようになりたいです。

(市原養神会の潤間会長に頂いた言葉です。)

生きるということは多かれ少なかれ、悪事を重ねます。

「ウソも方便」というようにウソをつかないということもなかなか難しいです。

しかし「ウソ」をついたら2倍の「正直」で埋め合わせるのがよいと思います。

常に「性悪説」に立ち返り、少しでも自分を良い方向へ修正する努力が大切であると思います。

「罪なくして転生はなし」

霊能者・木村藤子さんの言葉です。

誰もが前世から引きずるカルマを抱えていて、その問題を解決するために、今生に生まれてきています。

私も結構、業が深いかも。と時々思います。

2011年7月27日水曜日

お久しぶりです。

久しぶりの更新です。

南部の皆さんは審査に向けて気合が入ってきたところだと思います。

さて、今日は「道」についてお話したいと思います。

合気道は「道」です。テクニックではありません。

「道」である以上、途中で降りることはできません。

よって、知識やテクニックから距離を置き、厳しさに身を置く自分がいなければなりません。

テクニックは多少あるかもしれませんが、その気概がなければならないと思います。

「夫婦」というのもそうだと思います。

結婚したから、子供ができたから、子育てをしたから、「夫婦」なのかと言われればちょっと違うと思います。

最後まで寄り添ってみないとそこはわからないと思います。

不仲であっても、最後の最後に夫婦になる人たちもいるはずです。

いやそうあるべきです。

人間の生涯とはやはり修行です。

「楽を求めず、厳しさに身を置く。」

ひとり者のひとり言でした。

2011年7月16日土曜日

審査途中経過

さあ夏の総合審査1日目が終了しました。

1日目の審査では思うように結果が出せなかった方が多数いらっしゃったようです。

「不調こそわが実力なり」です。

ここからもう一度始めていきましょう。

運にも天運・地運・人運があり、調子の悪い時こそ人運を高める努力をする。

自らの努力と工夫を積み重ね、次のチャンスが回ってきたときに間に合うように備える。

私の審査は31日(日)の南部合同審査まで続きます。

2011年7月15日金曜日

不調こそ我が実力なり

こんにちは。

あまりの暑さで「ドキがムネムネします。」

龍道場朝クラスのTさんに伝授してもらったおやじギャグです。

なかなか気に入っています。

さて、今日も合気道の話です。

今月はなるべく合気道の話題でいきます。

私は読書を通して色々な方に出会いました。

その人たちの中でも私に大きく影響を与えている人がいます。

その人の言葉で気に入っているのは

「不調こそわが実力なり」です。

私が受け持っている会で最近非常に盛り上がっている同好会で皆さんの信頼を裏切るようなことをしてしまいました。悪気も下心もなかったけれど、いやな思いをされた方がいるのは確かです。
弁解をする気もありません。

私のような不器用な人間のところにあれだけの良い人たちが集まっていること自体、奇跡だったと思います。

今回のようなことが起こって信頼を失ってみて、不謹慎ですが少し安心してしまっています。

これでこそ俺らしいじゃないかと。

調子の良い時を自分の実力と思わずに、不調の時こそ自分の実力と思うことで悪い流れを断ち切る。

私の心の師と呼べるその方は次の言葉もよく使います。

「修正力」

人間は進化よりも修正ができればすごい。ガンになってももとに戻ればいいし、何か悪いことをしても自然に反省できるようになる。

信頼を失ったここから修正するんだ。今までだっていろんなところから修正してきたじゃないか。
と思っています。

小学生の時、校庭でサッカーや野球をする同級生を見て馬鹿にしていました。
あんなことやって将来何の役に立つんだ?
と思っていました。

よって体育の成績は悪かったです。

あんなに運動音痴だった自分が合気道を教えていること自体、どうかしていると思います。

ここから始まった私の合気道ですから、前進あるのみです。

始めた飛躍受け身した時腰打っていたかったなぁ。

良い思い出です。

しかし「合気道」にかぎらず武道の世界では、「間合い」が非常に大切にされます。

「間合い」とは「間に合う」と書いて「間合い」と読みます。

合気道に限らず、何事も間に合うこと意識して、自分を律し、訓練することで上達していきます。

私は間に合っていなかったです。

2011年7月13日水曜日

「あつ」は「なつ」いですね

すみません。

おやじギャグでさらに暑さが増したことでしょう。

今日も合気道の話でもしてみます。

投げ技の最後にとる「残心」。

「残心」こそが生き様である。

次に何をやってやろうかと色々と思いを巡らすのではなく、投げ終わった体勢を整える。何も利益のないところに心を置く。だから「無心」になれる。

脱いだ靴をそろえる、食べ終わった食器を片づける、すべて「残心」。後始末をきっちり行うことで次の準備につながる。

背中で語る「合気道家」講座でした。

2011年7月12日火曜日

夏になりました。

7月はじめての更新です。

梅雨も明け、暑い日が続きます。

各クラスでは審査稽古も追い込みに入っています。

ブログの更新を楽しみにしている方達もいらっしゃるということなので久しぶりに書かせてもらいます。

たまには合気道のことでも書いてみましょうか。

皆さんは審査を受験するとき、どんな心構えでしょうか?

段や級を「取る」、それとも「頂く」どちらがしっくりきますか?

元々、合気道だけでなく日本古来の武道や芸事には審査というシステムはほとんどありませんでした。

ある程度段階が進んだ時、「目録」、「免許」、「皆伝」などと、節目として師匠から弟子に授けることが一般的でした。門弟が増えて師匠の目が全員に行きわたりずらくなった時に、段級位の授与を公平にするために導入され始めたのが審査です。今でも植芝開祖の最後の内弟子、清水健二先生の天道館道場では審査ではなく、年始の鏡開きに合わせて昇段者を発表すると聞いています。普段の稽古の姿勢をみて、師匠の中でそれとなく審査が行われていたのでしょう。

私に関して言えば、「頂く」心構えです。

「取る」という言葉からは「分捕りあい」すなわち戦争につながっていく発想があると思います。日本人は戦争に負けた後、実際の戦争でなければ良いとして、経済で戦争し、受験でも戦争し、企業戦士という言葉まで生まれました。企業戦士の中で戦死された方も多いと思います。
分捕りあいの世の中でせめて「合気道」ぐらいは「頂く」で行きたいものです。
「頂く」という言葉からは自然の恵みを頂いて生きてきた。農耕民族、日本人の精神性が感じられます。

合気道の審査の話に戻りますが、審査の時にどれだけできたかということを終わってからよく話している方がいますが、審査に向かってどんな稽古をしてきたかが、結果よりも重要であるはずです。

いつかマラソン選手の中で「当日スタート地点に立つことができたら、勝てると思います。」と言っていた方がいました。その選手が大会当日に向かってどれほど厳しい訓練をしているか伝わってくる言葉でした。

「勝てば官軍」という価値観が横行する世の中で、私は「過程」を大事にする稽古をしていきたいと思います。

勝っていても負けている人がいます。逆に負けていても勝っている人もいます。

意味のない成功を拾うぐらいなら、内容のある失敗をしたいものです。

2011年6月24日金曜日

おすすめ映画②

今日は暑かったです。

何もしなくても汗が出てきました。

これからもっと暑くなるのでしょうか?

さて、今日も映画の話題です。

今日のおすすめ映画は「出口のない海」です。

戦争末期、海軍が開発した人間魚雷、「回天」に乗り、敵艦に体当たりしていった、若者たちの苦悩と葛藤が描かれています。

特別攻撃隊が編成されるようになったのは、日本海軍が「皇国の興廃、此の一戦に在り」として臨んだ、昭和19年6月の「マリアナ沖海戦」で、最新鋭のレーダーやVT信管を搭載した対空砲を持つ米海軍に一方的な敗北をしたことで、その後の組織的な作戦を展開する能力を失ったことがきっかけです。特攻は当初、米軍を震撼させますが、次第に効果はほとんどなくなり、多くの若い命が失われます。散って逝った1人1人に夢や希望があって、その思いを断ち切って命を捧げていきます。今の時代に生きていてはなかなか理解できない感覚ですが、市川海老蔵が見事に演じてくれています。主人公の並木浩二は甲子園の優勝投手で、大学に入ってから肩を壊し、自身が魔球と呼ぶ変化球の完成に精力を注いでいました。戦争の色が濃くなる中、海軍に志願して、回天の操縦士になります。野球への思い、家族への思い、恋人への思いなど、これから死ななければならない若者の様々な感情が描かれています。

もうこんなに若い命が散ってしまう世の中にはしたくないですね。



こま切れですがyou-tubeで見れるようです。

2011年6月23日木曜日

お気に入りの映画①

だんだんと暑くなってきましたね。

湿気が多いのも加わって、稽古の時にかく汗の量が増えてまいりました。

この暑い中であえて雪景色の映画を見るのもなかなか良いかもしれません。

先日、龍の研修に毎週出席しているSさんとの世間話の中で、「もう高倉健も80歳だからね。」という一言があり、インターネットを調べてみると本当にそうでした。時間とは確実に流れゆくもので、そうですか高倉健さんも80歳ですか。としみじみとしてしまいました。

高倉健さんは任侠路線で一世を風靡した映画俳優として有名ですが、私としては「鉄道員」の高倉健さんが好きです。印象深いセリフは「俺は鉄道員(ぽっぽや)しかできねぇんだよ。」です。鉄道員という職業に誇りを持って人生を全うした不器用な男の哀愁がなんとも言えません。(俺は「たこ焼き」がやけねぇんだよ。いまだに気にしてます。)

男は背中で語れないとだめですね。私はまだまだです。

2011年6月21日火曜日

たこやきパーティー

今日は月1回の木更津さくら会の指導に行って参りました。

稽古終了後、妙中邸にて「たこ焼きパーティー」が行われました。

生まれて初めてたこ焼きをひっくり返しました。いつもながら自分の不器用さを再確認。

しかし、焼きたてのたこ焼きは美味しい。そしてakiさんお手製の「スジコン丼」もこれまたたこ焼きによく合う。関西の人たちはこんなにおいしいものに囲まれて生活しているのですね。御馳走様でした。詳しくは「木更津さくら会のブログ」にて

2011年6月16日木曜日

道場写真家

ひょんなことから、先日、道場写真家としてデビューしてしまいました。

撮った写真は龍の広告として使用される予定です。

お楽しみに。

2011年6月15日水曜日

もうすぐ夏です。

龍道場もそろそろ夏の雰囲気になってまいりました。
扇風機がそろそろ活躍します。
エアコンよりは扇風機のほうが節電できるでしょうか?

車を手に入れてから浦安に車で行く機会が増えてきました。1週間のうち半分は車で行ってます。
今日も安全運転で袖ケ浦まで行ってきます。

それでは今月のドライブソングです。

私が教習所にかよっているときにいつも聞いていた

Rakeの「100万回のI love you」です。

免許取ったらこれ聞きながらドライブしたいなと思ってました。

2011年6月14日火曜日

ちまちました人生送るなよ。

みきさんだけはコメント打てるのですね。
他の方のほとんどは無理のようです。
Hootaちゃんの写真も近いうちに載せますので待っいてください。

しかし、車欲しいけど、どうしようかと思っていたところに、車をタダ同然で譲ってくれる人が現れるのはありがたかったです。車種名は「トヨタオーパ」。私にはもったいないくらいです。乗り心地は大変良いです。

さて、今日も「スバル」の時と同じように「トヨタ」の歴史についてさかのぼってみます。トヨタ自動車の発足の中心になった、豊田喜一郎にスポットを当ててみたいと思います。

トヨタ自動車は1933年、豊田佐吉が創業した豊田自動織機製作所の自動車部として始まりました。
織機制作における、鋳造、機械加工技術等のノウハウを生かして研究期間を経て、1935年に自動車製造を開始しました。この時に中心となったのは佐吉の長男、喜一郎でした。

大正10年、東京帝国大学工学部を卒業した喜一郎はアメリカに行き、街中にあふれる自動車に圧倒された。
当時、米国ではT型フォードがベルトコンベアで大量生産されていて、輝ける「大衆車時代」が幕を開けていました。帰国した喜一郎は日本に自動車工業を作ることを決意します。






                  T型フォードの車です。映画の世界ですね。

当時の日本で、産業としての自動車の大量生産は成功していなかった。
驚くほど多様な技術が必要なため、大財閥の三井・三菱でもあきらめた程コストがかかりました。
喜一郎の自動車開発は、当初設定された予算をはるかに超え、開発に対して周囲から猛反対の声が上がる中、2年後、トヨタAA型自動車が誕生しました。 まだまだ世界の水準には追い付かず頑丈なだけだったそうです。




                          トヨタAA型自動車

さあ、これから乗用車を大量生産しようとした矢先、日米開戦となり、軍用のトラックの生産に力を入れていくこととなります。終戦後、戦闘機や軍艦の製造に携わっていた技術者を大量に採用し、多くの人材の英知を結集し、昭和22年、「トヨペット」と愛称の付いたSA型乗用車を完成させます。

                           SA型乗用車

しかし、昭和25年、GHQから乗用車の製造の許可が下りず、細々とトラックの製造を行っていた「トヨタ」は経営危機に陥ります。喜一郎はじめ経営陣の退陣という形で、「トヨタ労働争議」は終結します。

その直後、朝鮮戦争の勃発により、米軍から軍用トラックの大量受注があり経営危機を脱します。

経営から退いた喜一郎は次の乗用車の構想を練っていました。

昭和27年2月、社長として返り咲くことが内定した喜一郎は「乗用車が作れるならと」最後の夢へと燃えていました。

昭和27年3月、豊田喜一郎 死去 (享年57歳)

設計図を広げたまま倒れ、意識を取り戻すことはなかったそうです。

今の日本にはこういう人が必要ではないでしょうか?

自分の信じる道を突き進んで国家に貢献する、豊田喜一郎があと5人いたら日本は生まれ変わるのではと思います。

いい学校いけなくたって、いい会社にはいれなくたっていいじゃないか。

やりたいことを思う存分にやって死にたいですね。






家の猫たち

今日は私の家に住んでいる猫たちを紹介します。

まず家の中で飼っている、茶色の「チャー」ちゃんです。



次に家の敷地内でいつもうろうろしている、「クロ」ちゃん





「さくら日和」のSさんにもらった車の周りでうろうろしているシロちゃんです。野良猫共いいだろー。おれの初めての車だぜー。困ったことになかなか乗り心地がいいんだな。見た目以上に中も広いし。


(なんとこのブログによくコメントくださる、「みき」さんの車もも色違いでおそろいの「トヨタ オーパ」だったことが分かりました。「みき」さん、今度並んで走りましょう!「浦安オーパ愚連隊」の結成ですね。)

他にも一匹だけ筋肉隆々で他の猫をいつもいじめている「Hotta」ちゃんもいます。
(名前には実在の人物等は一切関係ありません!!!)

家の敷地に野良猫として現れたこいつらはあまりに頑固に居座るので最近は追い払うのを止めました。エサまで上げています。

猫好きな方はよく猫に対して話しかけますよね。あの心境はいまだによくわかりません。

猫にしてみれば、自分達の住処に夜だけ帰って来て、エサだけくれる人間と思われているのだろうと思います。

2011年6月12日日曜日

いのちの根

最近、自分のブログなのにコメントの返信が上手く出来なくなってしまいました。
早めになんとかしたいと思います。
コメントいただいていた方々申し訳ありません。

先日、田中大偉君をひき逃げした犯人が捕まったとの連絡がありました。しかし犯人が逮捕されても大偉君はかえってきません。残された家族の喪失感は計り知れないものがあると思います。
人が亡くなった時、その人が若ければ若いほど、もし早く亡くなってしまうことが運命だったのならば、その人の人生にはどんな意味があったのか、どんな役割を持ってこの世に生まれてきたのだろうかと考えさせられます。

あいついい奴だったなぁ。合気道も好きだったろうな。
きっと今頃天国でお父さんやお母さんに「悲しい思いをさせてごめん。」て謝ってるんだろうな。

残された御家族は今は悲しみに暮れていることと思いますが、早く悲しむのをやめて、元気が取り戻せる日が来ることお祈りいたします。残された家族が早く立ち直って明るく暮らしていくことが一番の供養だと思いますから。

以下、相田みつをさんの「いのちの根」という詩です。

なみだをこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる

2011年6月3日金曜日

訃報

野田同好会の田中大偉君が2日(木)の夕方、交通事故で亡くなりました。
享年16歳でした。早すぎる人生の幕切れとなってしまいました。

お父さんと妹と共に少年部から合気道を始めて、現在は自動車大学校に通う希望に燃える16歳でした。

まだ、やりたいことたくさんあったろうに・・・

2011年6月1日水曜日

新DVDメイキング風景

5月30日(月)の道場休館日に新規DVDの撮影が行われました。




今回のDVDは安藤師範が「真空の気」について解説したもの。

内容については乞うご期待。


また、昇級審査科目についても取り直しました。

現在販売されている、「昇級審査科目」は約10年前に道場でホームビデオで撮影し、比嘉先生が編集したもので、私なんか内弟子になる前で、体つきがぜんぜん違います。


やはりビデオ撮影は何度やっても良い稽古になります。













アディオス! アミーゴ!!

久しぶりの更新になります。

5月も色々とありました。

アルゼンチン一行が来日したり、車を譲ってくれる人が現れたり、なかなか面白いものです。

とりあえず、今回はアルゼンチン一行を鴨川へそば打ちと陶芸を体験してもらいに行った写真をアップします。

ラテン系のノリで、皆さん陽気です。

ミッキーさんにかかればみんな「ちゃん」付けで呼ばれます。


             左から「サンちゃん」、「フェルちゃん」、「ガブちゃん」です。


                 水を入れてこねた「そば」を平らにしています。



                           「ガブちゃん」作

                      後は湯でるだけの「サンちゃん」

                   自分で打ったそばを堪能する「ヒメちゃん」


                       陶芸教室の先生を囲んで

2011年5月12日木曜日

房総半島の名所

房総半島の名所といえば、数多くありますが、今日は「養老渓谷」を紹介いたします。

ハイキングをしながら「四季」の移り変わりを楽しむことができる、非常にのどかで落ち着いたところです。紅葉狩りの名所になっています。








先日の総会合宿の帰りに立ち寄った、「出世観音像」のある「養老山立國寺」は源頼朝が三日間一心不乱に、天下平定を祈願した場所ということで、「出世の神様」「再起の守護神」として出世観音が祀られています。




源頼朝は「治承寿永の乱」(1180~1185年)の際、以仁王の令旨を受けて、伊豆で挙兵し、石橋山の戦いで大庭景親に敗れて、安房(千葉県南部)に逃れます。そこで体勢を立て直した後、富士川の戦い、屋島の戦い、一の谷の戦いなどで、勝ち戦を重ねて、平氏を壇ノ浦まで追い詰めていきます。

私の住んでいるところも「廿五里」という地名で「ついへいじ」(鎌倉から二十五里(約100キロ)という意味)と読みます。源頼朝が立ち寄って必勝祈願をしたところとされていて、その後に源氏の守護神を祀った「宇佐八幡神社」が建てられています。

合気道2代道主の植芝吉祥丸先生の名前は源頼朝の幼名「吉祥丸」にちなんで名づけられております。

そもそも合気道のもとになった「大東流合気柔術」は甲斐源氏の新羅三郎義光によって考案されたといわれております。

頼朝伝説をたどって房総半島を旅するのも面白いかもしれません。

そして、石窯で焼く養老渓谷のおいしいパン屋さんはとてもよかったです。


2011年5月10日火曜日

鴨川小旅行

GWに私の高速教習をかねて鴨川への陶芸体験に行ってまいりました。

初の高速道路で前の車のタイヤがバーストしたり、大型トラックが合流で譲ってくれなかったりと色々なハプニングがありましたが、何とか帰ってこれました。

以下、ミッキーさん作成のムービーです。ご覧ください。

2011年5月3日火曜日

これからの日本

先日の「千葉県連盟総会合宿」に参加された皆さん、大変お疲れ様でした。

普段はなかなか会えない方達と交流することができる、貴重な機会だったのではないかと思います。

また、皆さんはGWをいかがお過ごしでしょうか?

東北地方の方達は今も日々の生活が大変でいらっしゃることと思います。

今後の復興を通して日本もまだまだ捨てたもんじゃないと証明していきましょう。

先日の「つながりの風」では「大和ハウス」の石橋信夫さんを紹介しましたが、シベリア抑留から帰国し、戦後の日本の復興発展に貢献した方で、「瀬島龍三」さんという方を今回は紹介いたします。

瀬島龍三さんは富山の農家の三男として生まれ、学業優秀で、旧制中学卒業後、陸軍幼年学校に進み、陸軍士官学校を次席で、陸軍大学校を主席でそれぞれ卒業したエリート軍人です。大東亜戦争時は大本営陸軍部の作戦参謀として、大本営が出した命令書のほとんどに関与しています。「ヒノデハヤマガタトス」と開戦の暗号文を作ったのもこの人です。終戦後、ソ連との停戦交渉に満州に赴き、そのまま11年間シベリアに抑留されます。

帰国後再三にわたる自衛隊からの勧誘を断り、当時繊維を扱う一商社にすぎなかった「伊藤忠商事」に入社し、「航空機商戦」や「賠償ビジネス」を通して、巨大総合商社に発展させます。また、中曽根内閣のブレーンとして、国鉄や電電公社の民営化にも携わります。

この方に関しては、賛否両論あり、色々な疑惑がありましたが、沈黙を守ったまま鬼籍に入りました。

しかし、瀬島さんが「伊藤忠」に入ったのは46歳の時です。そこから会社をこれだけ発展させるという気概がすごいと思います。

現代だったら、自分はもう40だから、50だからとあきらめてしまいがちなところですが、戦後の日本は、自分の年齢に関係なく、「もう一度復興させる」という気概をもった方達がたくさんいたんだと思わされます。

これからの日本の発展のためには、このような熱い志をもった方たちがたくさん出てこないといけないと思います。歴史を学び、先人に学ぶことで、自分のアイデンティティに誇りを持ち、日本という国を大事にできる人が増えていってもらいたいと思います。

GWでお時間のあるかたは「瀬島龍三」さんの生前のインタビューを見てみてください。

「歴史の生き証人」の言葉は穏やかでも重みがありますよ。

2011年4月27日水曜日

初心運転者

chiekoさんからブログ用の写真を提供されたので連日更新します。



先日の日曜日、五井同好会会長のEさんの愛車である、SUBARU「outback」を運転させてもらいました。





素晴らしいです。重心が低く、安定した走行は運転していて心地よく、安心感が持てます。

さて、私の車選びは予算と相談しながらじっくりやるつもりですが、調べているうちにいろいろなことがわかってきました。

戦前、「航空機はその国の国力の結集である」と言われた時代がありました。その時代をけん引した、東洋一の規模を誇った航空機メーカー、「中島飛行機」は、海軍機関将校であった中島知久平によって創業され、数々の優れた航空機を世に送り出しました。


開戦当初は無敵を誇った、零式艦上戦闘機や一式戦闘機「隼」に搭載された、「栄」エンジンやその改良型で四式戦闘機「疾風」や紫電改に搭載された「誉」エンジンを開発したのは中島飛行機の設計主任を務めていた伝説の天才設計者、中川良一です。










戦後、航空機開発を禁止された日本の航空機メーカーはその技術の応用がしやすい自動車産業へと次々と参入してきました。

「中島飛行機」は2度と軍需産業に就けないよう12社に分解され、その中のいくつかが合併してできたのが、「富士重工業」(スバルはその自動車製造部門)です。高い技術力を誇った社風は現在でも継承されているようです。






また、中川良一は戦後、富士精密工業(のちのプリンス自動車で「日産」に吸収される)で初の国産車「プリンス」を作る。しかし、トヨタクラウンに押され、「スカイライン」を作ります。プリンス自動車、日産自動車の役員を務め、日本の自動車産業の発展に寄与しています。









中川良一さんが「誉」エンジンを設計したころ、米軍から「グラマンF6Fヘルキャット」が登場し、ゼロ戦や隼は、出力不足と防御の不備に悩まされていました。零戦の「栄」エンジンが約1000馬力だったのに対して、「誉」は試験段階では2000馬力を出し、これで戦局を挽回できると軍首脳部をうならせました。しかし、オクタン価の低下と熟練工が徴兵されることなどによりエンジンの品質を安定させることができなかった、結果として期待された能力を発揮できずにその役目を終えた、悲劇のエンジンとしてそのドラマは伝えられています。


お金がなくても、読書をするのにはお金は余りかからなかったので、色々と調べた時期がありました。
私の中の歴史が現代とつながってきました。先人の英知が時代の大きな荒波を乗り越えて、現代の私たちを支えてくれてくれるのはありがたいです。

最後にミッキーさんが初心者運転ムービーを作成してくれましたのでupします。

一日の始まり

私の一日の始まりは線香3本の、「先祖供養」から始まります。







伊勢 白山道 方式の、まず両親それぞれの系統の先祖に1本ずつ、そしてその他諸々の霊の皆様に1本を奉げながら、







「生かして頂いてありがとうございます。どうぞお召し上がりください。」







と心の中で唱えます。







それから、「アマテラスオホミカミ」と10回心の中で唱えます。







一日は人生の短縮形であると森信三先生も言われています。







一日の始まりに先祖に感謝の想念を送ることにより、良いスタートが切れるような気がしています。







最近読んだ本の中に、次のような一節がありました。







「桜の花が散りゆく景色はなぜ美しいのか?







それは、人間の短い一生に比べても、一瞬の瞬きのように短い一生を全力で生き切ったからである。」







恨みの感情を減らし、感謝の想いを抱くことにより、後悔のない、有意義な人生を送りたいものです。







そして全力で生き抜きたいと思います。







以下、今月初旬に行ってきた「佐倉城址公園」の桜の写真になります。













旧佐倉城址の公園です。戦前は陸軍の練兵場、現在は一般に公開されています。お花見の名所です。



ちょうど満開の桜でした。


美女2人の手料理を堪能しました。


両手に花の西さん。ご満悦そうです。



イケメンに囲まれたchiekoさん、御満悦です。


両手にりんご飴を持ったミッキーさん、御満悦そうです。



2011年4月16日土曜日

オーロラブレイク

今日は「オーロラ」の写真を紹介します。 私が毎週木曜日に指導している、「ヨークカルチャーセンター鎌ヶ谷」一般部の会員のYさんが、カナダのフェアバンクスにオーロラを見に行ってきました。なかなかすごい写真です。空中「オーロラ」だらけ、「オーロラブレイク」と呼ばれているそうです。 以下、Yさんの文章になります。 〈アラスカのオーロラ撮影旅行〉 成田からツアー会社が共同でチャーターしたらしいJAL直行便で6時間半、アラスカ第2の都市フェアバンクスへ。普通は乗換もあり14時間かかります。 第2の都市と言っても、10万人も人口はありませんし、アンカレッジよりかなり北になり、冬は―30度、-40度にもなります。 アメリカ人は主に 夏、秋の旅行で来るところです。 どちらにしろアラスカ州は広いけど人口は少なく、交通網も最小限度しかないし、そこからの移動は車(車で行けるところも限られてる)、セスナ、スノーバイク、犬ぞりなど。 というわけで、日本人がオーロラ鑑賞ツアーに行けるのは、必然的にオーロラ聖地と言われる、カナダのイエローナイフとフェアバンクスということになります。 私の参加したツアーは、撮影目的のかただけというものでしたので、ふつうは行かないらしい、フェアバンクスから2日目に日帰りで片道6時間かけ、バスでひたすらなにもないツンドラ地帯を走り北極圏の入り口まで行き、夜中の撮影をしました。(トイレが大変でした) フェアバンクス2泊後、バスで北1時間半のところにある有名なチェナ温泉リゾートに行き2泊。ここは車で行ける道の突き当たりにあり、冬はオーロラを見に来る人が訪れます。温泉もとても良く、大きな露天風呂があり、水着着用で入りますが、髪の毛などは凍って、油であげた春雨のようになりますね。 1日目は夜遅くにそばにあるチェナ山に雪上車で急な斜面を時間かけて登りました。、360度の展望ができる場所で夜中3時ごろまで撮影、オーロラを待っていたり、寒さにがまんできなくなった時は、おおきなまあるいモンゴルのテントみたいなところで、休んだり、温かい飲み物などが飲めたり出来るようになってますが、それでも寒さはかなりなものでした。 ここではちょっとしたアクシデントがありました。アラスカのローカルテレビの若い女性キャスターになぜか目をつけられ、どうしても私をインタビュウーしたいとゆずらず、もちろん何度も断りましたが、だめで、通訳を添乗員にお願いし、1時間ほど付き合う羽目になりました。翌日放送されたみたいです。見た人の話だと私、女性カメラマンって感じになってたらしい。(苦笑) 最終日は昼間犬ぞり体験などをし、夜中はセスナ滑走路での最高のオーロラ爆発と遭遇でした。

2011年4月13日水曜日

総会合宿参加者募集

千葉県養神館合気道連盟が創立10周年を記念して、毎年行っている定期総会に合わせて合宿を行います。

まだ、震災の影響によりまだ申し込みが定員に達していないため、再度募集いたします。

千葉県連盟より宿泊費補助が5,000円出るので非常に参加しやすい価格になっています。

2時間の稽古が2回、総会、懇親会、朝市見学などいろいろとありますので、是非お勧めです。

日程等は以下の通りです。

日程    4月29日(金)・30日(土)   集合・現地:午後2時30分  解散・現地:12時30分
場所    日本武道館研修センター
       千葉県勝浦市沢倉582  TEL 0470-73-2111
参加費   4000円 (1人当たり)   ※交通費は自己負担になります。
対象    中学生以上 定員    100人
内容    講習会2時間を2回、総会、懇親会
申込締切 4月19日(火)
申込方法 各団体代表者または龍指導員まで直接お申込みいただくか、
       次の事項を記入の上、メールにてお申し込み下さい。
       ・氏名、性別、所属団体、現在の段級位、住所、電話番号

2011年4月9日土曜日

時代

この4月は色々なことがあります。

龍内弟子の堀田先生が独立され、それに合わせて堀田先生が担当していた佐倉同好会を6年ぶりに私が担当すりことになりました。久しぶりの「佐倉同好会」はメンバーも西会長以外はガラリと変わり、「新しい先生が来たよー。」と会員の方の声。(戻ってきただけなのに・・・)元々佐倉同好会は周辺に熱心な龍の会員がおり、新しい内弟子(私のことです。)が加わったことがきっかけで発足した会なのです。

やはり今朝は間違って、野田同好会に行こうとしてしまいました。(野田同好会の方々6年間ありがとうございました。)

また、この4月からは袖ヶ浦昭和同好会の指導も再び担当することになります。月2回指導の予定です。まだ節電の影響で、正式には始まってはいませんが・・・。大石指導員が体調不良により、指導を退いたことは私にとって本当に痛手でした。これ以上無理を言えず、やむを得ない決断でした。いま龍は会員数約1000人、そのうち千葉県南部の会員は合計約100名。10人に1人は南部会員です。この10年でこれだけ発展することは大石指導員という名参謀がいなければ無理だったでしょう。ゆっくりと治療に専念していただいて、再起されるのを待ちたいと思います。そして同じく大石指導員と交代で、木更津さくら会にも月1回指導に行くことになりました。

自分のまわりだけでも見えない大きな流れが変わりつつあるのが感じられます。

やはり色々な人の出入りがあり、色々な経験をしてゆくことで成長をしてゆくのでしょう。

でも一つの「時代」が終わって、次の時代が訪れようとしているのを感じている最近です。

2011年4月4日月曜日

祝・運転免許取得

こんにちは。

前回のブログで申し上げた「良いこと」とは、私の「運転免許取得」のことでした。

大したことないですよね。お騒がせいたしました。

ご存知の方も多いと思いますが、実は、私まだ車の運転免許を持っていなかったんです。

今年になって、30歳にして高校を卒業したばかりの子たちに混じって自動車教習所に通っていました。どうせ通うなら秘密にして、いきなり取って驚かせてやれと思い。誰にも言わずに3カ月余り、3月末に教習所を卒業し、晴れて昨日、免許センターで学科試験に合格し、運転免許をいただいてまいりました。(卒業検定で路上を走っているときは「つかさ」君と遭遇しました。たぶん本人気づいていないですが・・・、また教習所では某同好会の方がバイクの練習していましたねー。)

はじめて、車の運転免許を取得したいと思ったのは20歳。実際10年かかってしまいました。10年前、学校に通わせてもらって、車の免許も取り、仲間と青春を謳歌している同級生が本当にまぶしかった。でもそのおかげで周りと自分を比べてはいけないと気づかされました。「相対」の世界から「絶対」の世界を目指すことができました。

そんな思い出を振り返りながら、免許センターに向かいました。

私の免許取得には10年分の思いがこもってます。だから、1人で喜ばせてもらいます。

途中で「自転車こいで~」のフレーズが入っているので私のお気に入りの、「B'z」の「永遠の翼」で今日のブログは終わりです。

2011年4月2日土曜日

堀田先生独立おめでとうございます。

4月になりました。

原発問題も少しずつ復興に向かっていいるようです。

お役人の責任転嫁体質も露呈してまいりましたが、こちらは落ち着いて見守っていきたいと思います。

さて、3月末日をもちまして、堀田先生が龍道場を退職し独立されました。内弟子として12年間精進され、
今後は埼玉方面での合気道普及、道場建設に邁進されるということです。

私は内弟子になってから現在の8年間堀田先生にお世話になりました。

堀田先生の「小細工をしない、物事に正面から向き合う」姿に刺激を受けながら今まで内弟子生活を送って参りました。今後は、筆頭内弟子として、堀田先生の培ってきてくださった内弟子の気風を失わず、精進して参りたいと思います。

また、来週9日(土)から、野田同好会の指導は、私からジム師範代に代わります。野田で指導した6年間の間では今後の合気道指導者としてかけがえのない経験をたくさんさせてもらいました。今後はジム師範代を指導者として、田中会長を中心に発展してもらいたいと思います。

やはり、野田同好会は酒豪ぞろい。今日はお手柔らかにすみましたが、現在東武野田線で帰る途中です。今まで本当にいろんなことがありました。一言では言い表せません。来週からは佐倉同好会指導員として新たに頑張って参りたいと思います。

来週には良い知らせをできる予定です。野田の田中会長には一足早く教えてしまいました。まだだあれも知りません。

まっ大したことじゃありませんから!一般社会人なら当たり前かもしれませんね!

2011年3月23日水曜日

あれから10年

今回の震災で被災した方達は、復興に向けていま必死に立ち上がろうとしていることと思います。

今回の震災で亡くなられ方達に対しては心より、お悔やみいたしますとともに、被災地の一日でも早い復興をお祈りいたします。

命が無事でも家が焼けたり、津波で流された方達は、焼け跡や家のあった場所をまさぐりながら何を思っているのでしょう?幸せの絶頂にいる者にも、絶望の淵に立たされている者にも神は平等に接してくれているはずです。晴れの日には不幸なことなどまったくなかったように真っ青な空で瓦礫の上を照らしてくれることと思います。戦後の焦土から立ち上がった人たちもきっとおんなじ空を見たのでしょう・・・・

焼け焦げて炭になってしまった焼け跡をまさぐりながら、空を見上げると、そんなときでも雲ひとつなく真っ青だった。

あれから10年・・・

2011年3月21日月曜日

おすすめ映画

こんばんは。

しばらく地震の話題ばかりでした。

今日は気分を切り替えて映画の話でいきましょう。

もう何年も前の映画ですが「スパイゾルゲ」という映画がありました。

戦前にに実在した旧ソ連のスパイ、「リヒャルド・ゾルゲ」の日本での諜報活動を描いたものでした。彼がいなければ対米戦争は避けられたかもしれないといわれている人物です。

当時の日本では、満州以北への「北進」か支那以南への「南進」か国策を決定するうえでの議論がありました。当時ソ連はナチスドイツが不可侵条約を破り侵攻してくる中で、同時に日本を相手にすることはどうしても避けなければならない状況でした。父親がドイツ人であるゾルゲはナチスドイツのジャーナリストとして日本に潜入し、駐日ドイツ大使を通じて日本の機密情報を入手するとともに、当時の近衛内閣のブレーンだった「尾崎秀実」を通じて国策を「南進」へと向けさせ、日本は仏印へと進駐していきます。。さらにゾルゲが入手した情報はモスクワを通じて、アメリカ政府の中にいた共産党スパイへとそのまま筒抜けになっていました。有名な「ハル・ノート」を作成したのも、共産党スパイであった、ハリー・ホワイト財務副長官(当時)であったといわれています。






学校ではこんなこと全く教えてくれなかったですね。歴史の授業ってホント詰まらなかったです。

現代にもゾルゲや尾崎のような人物が存在して、政治が操作されていると思うと、日々入ってくる情報は冷静に判断していかなければならないと思います。

2011年3月19日土曜日

余震が続きます。

こんばんは。

春の総合審査1日目が終了です。

今回は地震の影響で龍道場にて総合審査が行われました。

例年よりは少人数の受験者でした。

私は総合審査には出席せず、午後から稽古場所・時間が変更になった五井同好会に指導に行ってまいりました。

急きょ変更になったにもかかわらず、いつもと変わらず大勢出席してくれました。

電力事情が改善されるまで、なんとか頑張ってまいりたいと思います。

今日思ったのですが、「市原」と「浦安」で今回の震災に関してずいぶんととらえ方が違います。

「浦安」は埋立地ということもあり、液状化現象で断水するは、計画停電の対象地域になるはで非常にさみしい雰囲気が漂っています。そのせいか原発の放射能に対しても非常に敏感です。
それに対して「市原」はコスモ石油の火災以外はほとんど無事で、水道もガスも止まることなく、計画停電は一度も実施されていません。(一説によると、コンビナートで停電した工場は復旧するのに1日半はかかるという事情に配慮しているのだとか・・・)もう地震など過去のもののように扱われています。(でもガソリンは不足しています。)
でも、市原市民の方たちが原発の放射能に対しても冷静にとらえていることには癒されます。
とりあえず健康に害はないと報道されているんだから、みなさんくれぐれも落ち着いて行動してください。
こういう時こそ「デマ」には十分注意してください。

明日も浦安行ったら放射能の話に「そうですね。そうですね。」と付き合わないといけないのは面倒くさいですね。またあの人が不安を煽るから………

自分勝手な人たちが本当に多いです。普段はのうのうと文明の恩恵を享受しておきながら、何かあると一目散に逃げ始める。「便利」とは「危険」は本来、隣り合わせなんだと思います。

良いも悪いもすべて受け入れましょう。 

2011年3月18日金曜日

計画停電

水曜日からなんとか浦安に通えています。

今日も夜7時から浦安は計画停電でした。

もうすぐ解除されるでしょうか?

ところで、原発の事故は本当に怖いですね。

核融合を利用して熱エネルギー取り出してしているということは、こういう事態が起こりうるということなのですね。

この原発で用いられている「熱核融合」という技術に対して、「固体核融合」という技術が、阪大名誉教授の荒田吉明先生によって研究されています。この「固体核融合」は核融合に際して放射能が一切発生しなく、反応が緩慢であるが故、核爆発の心配がない。よって、電力を利用する土地の近くで気軽に発電所を作ることができるそうです。

そんな技術が速く開発されるとよいですね。

明日は総合審査です。

受験される方は頑張ってください。場所は龍道場です。

2011年3月15日火曜日

自宅待機

昨日から計画停電の影響でJRがストップ。

今日は本来は龍道場にいるはずが、自宅待機。

明日は浦安いけるかな?

2011年3月12日土曜日

なんとか帰宅

なんとか午後5時半過ぎに帰宅いたしました。

市原は道路がめちゃくちゃになっているところはほとんどありませんでした。

今日は早めに寝て、明日に備えます。

明日は浦安市中央武道館での稽古は中止ですが、袖ヶ浦同好会は通常通りあります。

ライフラインが徐々に復旧しています。

やっと内房線が復旧しました。

これから自宅に帰ります。

昨日は本当にすごかった。

龍道場の前の電信柱は倒れそうなくらいゆれるし、地面から水は噴出してくるし・・・・

帰り道も気をつけます。

それでは。

東日本大地震

こんにちは。

皆さん無事ですか?

久しぶりの更新のときに大地震が起こってしまうなんて・・・

昨日、龍道場の研修の時間にちょうど地震があり、それから自宅には帰れていません。

通信手段も混乱し、私の担当する市原同好会も連絡もできないまま休みとなってしまいました。

昨日は堀田先生のマンションにお世話になりました。おかげさまで快適に眠ることができました。

いまだ内房線は動いていないようです。今日は帰れるのか?

お昼過ぎまで様子を見て五井同好会を行うか決めたいと思います。

そういえば大火災をおこした「コスモ石油」は「若葉中学校」のすぐ近くです。避難所になっているのでは?

まったく確認する術がありません。

また更新します。

2011年2月17日木曜日

第7回ジュニア合気道大会写真

今回の「第7回ジュニア合気道大会」の写真は、大会公式カメラマンである遠藤勝久さんが編集しています。

下記のサイトからご覧ください。

写真①
写真②
写真③
写真④

やはり合気道の動きを理解している人はベストなタイミングでシャッターが押せるんですね。


2011年2月16日水曜日

第7回ジュニア合気道大会

13日(日)第7回ジュニア合気道大会が浦安市舞浜総合体育館 第1・2武道場で開催されました。

昨年と同様に飛龍の部(2級以上)と昇龍の部(3級以下)に分かれてトーナメント方式で行われました。1次予選の基本動作連続から始まり、基本技、自由技と徐々に行う内容のレベルが上げての競技演武を行いました。ジュニア大会を開催するようになって、少年部のレベルもだいぶ上がってまいりました。決勝戦ともなると、大人顔負けの動きをしています。本来試合のない合気道ではありますが、身近な所に目標を持つことで日頃の稽古の励みになってもらえればという趣旨で始まったジュニア大会も今回で7回目。毎年様々な改良が加えられ、参加人数も過去最高の170名になりました。約50名のスタッフの皆様のご協力により、過去最多の参加者数にもかかわらず、非常にスムーズな運営をすることができました。














その他の写真はこちらから「五井同好会会長遠藤さん作成」

以下、大会の結果になります。

飛龍の部

優勝  田辺愛奈 なでしこ会

準優勝 坂本健太 浦安少年部(日)

第3位  水野湧真 静岡支部

第3位  神村怜衣 静岡支部

昇龍の部

優勝  中森美希 なでしこ会

準優勝 小池亮太 埼玉養神館

第3位  尾川晴  佐倉同好会

第3位  秋永怜南 五井同好会



今大会から審査員の採点結果を集計する作業に「Excel」を導入し集計結果が出るのが飛躍的に速くなりました。長畑薫さんありがとうございました。スタッフの方達も各役割ごとによく動いてくださいました。さくら会森本さんの作成してくれた「会場図」も非常に役に立ちました。また、このジュニア大会は参加者全員に「表彰状」が配られるので、子供たちも喜んでくれています。出場者が増えたことで今年は「賞状作成」担当になったchiekoさんはてんてこ舞いだったようです。来年はより作業しやすいように改善していきたいと思います。

ジュニア大会終了後の「第4回千葉県連盟合同練成会」も参加者85名と大盛況でした。講師は安藤師範と千野進師範(養神館合気道隼)そして堀田師範代と私が補助加わる形で行いました。